大判例

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京都地方裁判所 平成3年(ヨ)740号 決定 1991年10月01日

債権者

甲野太郎

右代理人弁護士

高田良爾

債務者

京都相互タクシー株式会社

(以下、「債務者会社」という)

右代表者代表取締役

多田精一

右代理人弁護士

佐賀小里

佐賀千惠美

主文

一  債権者が債務者会社に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

二  債務者会社は、債権者に対し、金二二五万二〇〇〇円及び平成三年一〇月二九日から本案判決確定に至るまで毎月二九日限り月額五六万三〇〇〇円の割合による金員を仮に支払え。

三  申立費用は債務者会社の負担とする。

理由

第一債権者の申立ての原因

債権者は主文と同旨の決定を求めるところ、その申立ての原因は次のとおりである。

一債権者は、昭和五五年一一月二五日、期間の定めなく債務者会社に雇用され、入社当初は運輸第一部第三課長見習となり、その後運輸第一部運輸次長や営業事務部長兼渉外部長の職を経て昭和六〇年七月には取締役に就任したが、昭和六二年一一月に取締役を解任され被傭者たる営業次長に降格され、平成元年六月一一日再び営業事務部長となり、平成三年三月の時点では毎月二八日又は二九日の給与支給日に月額五六万三〇〇〇円の給与の支払いを受けていたものである。

債務者会社は、平成三年四月一六日付社長指示書により、債権者に対し、平成三年四月一八日から営業事務部長職を解き守衛長職に充てる旨の配置転換を命じた(以下、「本件配転命令」という)。本件配転命令は平成三年四月一七日債権者に告知されたが、債権者の給与月額自体に変更はなかった。

債務者会社は、平成三年五月一七日、就業規則五二条に基づき、債権者を普通解雇する旨の意思表示(以下、「本件解雇」という)をした。

債権者は、平成三年五月に支給される給与五六万三〇〇〇円は受領したが、六月以降は給与の支払いを受けていない。

二しかしながら、本件解雇に至る背景事情は次のとおりであるから、本件解雇は何ら正当な理由に基づかずに解雇権を濫用して行われたものというべきである。

すなわち、債権者は、平成二年一二月頃から、債務者会社においては有名無実となっている管理職の有給休暇制度を今後充実させるべきであると主張し、実際にも平成三年二月五日と一一日に有給休暇を取得したが、これらが欠勤扱いとされてしまったため、この事実を京都上労働基準監督署に申告した。このため、債務者会社は、平成三年三月六日、同労働基準監督署から是正勧告を受けた。しかし、債務者会社が右是正勧告後も債権者の行った平成三年三月二七日、三〇日、四月二日の有給休暇申請を認めないで欠勤扱いを続けたため、債権者は平成三年四月五日同労働基準監督署に対し再度の申告をした。その後、突然本件配転命令があったため、債権者は同労働基準監督署に対し、有給休暇の件で不利益な配転を受けた旨申告したところ、同労働基準監督署は、平成三年五月一〇日、債務者会社に対する臨時監査を行った。すると、債務者会社は突然本件解雇をしたのである。

三債権者は、解雇無効確認及び賃金支払請求訴訟の提起、追行を予定しているが、従前のとおりに給与の支払いを受けることができなければ住宅ローンの支払いを含め生活費に窮することが明らかであるから、本件仮処分の申立てに及んだ。

第二債務者会社の主張

債務者会社は申立ての原因一項の事実は認めるところ、その主張にかかる本件解雇の理由は、債務者会社提出の平成三年七月一二日付答弁書第三項及び平成三年九月二五日付準備書面に記載のとおりであるからこれを引用する。

第三当裁判所の判断

一申立ての原因一項の事実は当事者間に争いがないところ、期間の定めのない雇用契約における普通解雇といえども、解雇権を濫用してまでこれを自由に行うことは許されないのであって、当該具体的事情のもとにおいて解雇に処することが著しく不合理であり、社会通念上相当として是認できないような普通解雇は無効と解すべきことは、既に確定した判例法理である。そこで、本件解雇が、社会通念上相当として是認できるような正当な理由に基づいて行われたものか否かを判断する。

債務者会社は、本件解雇の主たる理由として、債権者が平成元年八月のコンピューター導入以来一貫して、コンピューターによる債務者会社の給与計算のノウ・ハウを独占し続け、これを他の従業員には秘匿して情報提供せず、本件配転命令の後には、債権者の協力なしには給与計算が困難であることを十分承知しながらコンピューターによる給与計算業務に協力しなかったばかりか、コンピューターのソフトを改変し給与計算ができないようにして会社の業務を妨害し、会社に損害を与えたという事実を主張している。そこで、まず、本件解雇に至る事実経過について検討するに、右争いのない事実に本件疎明資料及び審尋の結果によれば、次の事実が一応認められる。

1  債権者は、被告会社の創業者社長である亡多田清の実子(但し、認知は受けていない)であり、幹部職員になることを期待されて債務者会社に入社し、当初から課長職に就き、入社三年目にして営業事務部長兼渉外部長に昇進し社内の管理業務のほか外部団体との渉外業務などを担当し、平成元年八月頃からは、債務者会社が複雑な従業員の給与計算のために導入したコンピューターのデータ処理やソフト管理の業務を統括するなど、一貫して被告会社の幹部社員として稼働していた。債権者は、同じく亡多田清の実子である多田精一が債務者会社の代表取締役に就任した後、取締役を解任されたり、降格されたりはしたが、給与面では役員待遇を受けており、平成元年六月以降、営業事務部長ないし営業部長の地位にあった。

2  債権者は債務者会社の株主でもあるところ、平成二年一二月の債務者会社株主総会において、債務者会社代表者に対し、債務者会社においては有名無実となっている管理職の有給休暇制度を今後充実させなければ、管理職への人材の獲得が円滑に行かない旨の意見を述べ、実際にも自ら平成三年二月五日と一一日に有給休暇を取得したが、これらが債務者会社により欠勤とみなされてしまった。そこで、債権者はこの事実を京都上労働基準監督署に申告した。このため、債務者会社は、平成三年三月六日付の書面により、同労働基準監督署から、管理職(係長職以上)につき年次有給休暇制度を整備する旨の是正勧告を受けた。しかし、債務者会社が右是正勧告後も債権者の行った平成三年三月二七日、三〇日、四月二日の有給休暇申請を認めないで欠勤扱いとしたため、債権者は平成三年四月五日同労働基準監督署に対し再度の申告をした。その後、突然本件配転命令があった。

債務者会社は本件配転命令を「守衛業務の刷新のため」であり降格処分ではないとし、債権者の給与を減じるようなことはしていないが、債権者は、本件配転が有給休暇取得の件で債務者会社の方針に従わなかった債権者に対する「いやがらせ」と受け止めていてこれに大いに不満であった。実際にも、平成三年四月二九日付の業界誌「交通界速報」には、債権者が事実上左遷されたものと報じられた。そこで、債権者は同労働基準監督署に対し、有給休暇の取得により不利益な配転を受けた旨申告したところ、同労働基準監督署は、平成三年五月一〇日頃、債務者会社に対する検査を行うに至った。

なお、本件解雇は、その後間もなくの平成三年五月一七日付にて「社内規律を乱した」という理由で行われたものであるが、債権者に対し解雇理由となる具体的事実が告知されたわけではなかった。

3  さて、債務者会社は、予告期間を置かず債権者の同意も得ないで、突然本件配転命令を発令し、平成三年四月一八日以後、事務室にあった債権者の机を取り払い、債権者が営業事務部長として就労することを拒否した。本件配転命令により債権者が就労することを命ぜられた守衛部署には、もともと従業員二人が配属されていただけで、債権者が守衛長として配属になったため三人制となったが、その業務内容は、①会社の保安業務、②巡視見回り業務、③運転手・配車係の出退勤検印、④出庫時の車両の検車、⑤事故報告と発生即日処理、⑥遺留品の受付取扱い、⑦納金業務、⑧本科等の連絡業務などであり、夜勤を伴うものであった。

4  さて、債務者会社は、平成元年八月、複雑な給与計算事務等の合理化を図るためコンピューターを導入したが、給与計算システムのソフト作成をコンピューター納入会社に一任せず、ある程度コンピューターの知識や経験もあった債権者を中心として、右ソフトの作成を進め、多少の試行錯誤のうえ実用化を実現していった。債務者会社は、債権者のみがコンピューターに習熟している状態を続けることは会社にとって得策とはいえないと判断し、平成二年五月頃以降、営業部に属する債権者以外の部長等の者もコンピューターの操作や管理を行うよう指示した。しかし、実際にはその後も、債権者と同等にコンピューターソフトの作成・修正等の基礎的部分の管理に習熟している従業員が育成することはないまま、本件配転命令が行われた。

債権者の協力なしに本件配転命令直後の給与支給日(平成三年四月二六日)に間に合うよう給与計算をすることは困難であったため、債権者に対しては、平成三年四月二〇日頃、高田洋一取締役又は松盛健次営業部長からコンピューターによる給与計算業務の手伝いをして欲しい旨の要請があった。債権者は、本件配転命令の後、守衛部門に関係してコンピューターの操作をしてはいたものの、本件配転命令の際、社長からコンピューターによる給与計算業務を命ぜられたことはないなどと主張して、その要請に応じなかった。このため、債務者会社は、多数の人手を動員して平成三年四月、五月の従業員の給与計算を行うことを余儀なくされた。

二以上の事実が認められるところ、債権者が本件配転命令後給与計算に関する債務者会社のコンピューターソフトを改変したとの債務者会社主張事実については、<証拠>(債務者会社従業員木下敬生の報告書)や<証拠>(債務者会社従業員片桐孝治の報告書)には、「本件配転命令後、従前通りの手順で操作してもコンピューターによる給与計算に支障があった」などという部分もある。しかしながら、右報告書の作成者らがソフトの管理も含めてコンピューター操作全般に習熟した者ではないこと、債務者会社従業員は本件配転命令があるまで債権者なしに給与計算を行った経験がないことは前認定のとおりである。そうであるとすれば、それらの者の報告書の記載をそのまま採用して債務者会社の右主張事実を認定することなど到底できず、他に右事実を認めるに足りる疎明資料もない。また、債務者会社が本件配転命令後債権者に対し、コンピューター業務の引継ぎを命じたとの点については、本件疎明資料及び審尋の結果によれば、債務者会社の高田洋一取締役又は松盛健次営業部長から債権者に対し「四月の給与計算を手伝って欲しい」との要請があった事実は認められるものの、本件配転を命じた債務者会社代表者が債権者に対し、コンピューター業務の引継ぎをするよう業務命令を発したとの事実を認めるに足りる疎明資料は見当たらない。

三さて、前記認定事実に照らせば、債権者は、当初から債務者会社の幹部職員として雇用されたことがあきらかである。このような被傭者は、通常、かなり様々な業務に就き、使用者の都合により配置転換を受けることが一般的に予定されているということができる。しかし、突然発令された本件配転命令により債権者が就労を命ぜられた守衛長という新職場は、旧職場たる営業部長職とは著しくかけ離れたものである。このような唐突な配置転換も全く許されないわけではないけれども(債務者会社就業規則一五条も職種変更を伴う配転命令を一般的に予定している)、それが止むをえないとして是認される理由が認められない場合には業務命令権の濫用となる余地が大きいということができる。ただ、現実に旧職場とは著しく異なる新職場への配転が命ぜられ、使用者において被傭者の旧職場での就労を拒む場合には、被傭者が現実に就労すべきところは新職場しかなくなるわけであるから、被傭者は旧職場の業務を行う義務を負わないと理解するほかない。

これを本件についていうと、コンピューターによる給与計算業務は、債権者にとっては旧職場での業務であるから、本件配転命令後は、債権者はこれを行うべき雇用契約上の義務を負わないというべきである。したがって、債権者が本件配転命令の後、コンピューターによる給与計算業務を行わなかったことは、何ら解雇の理由となるものではない。もし、債務者会社が債権者の協力なしにこれを行うことが不可能であれば、本件のような唐突な配転命令を行わないで、業務の引継ぎ等に必要な予告期間を置いて配転命令を発するのが当然である(そうすることが困難であった事情も見当たらない)。そのような措置をとらないで本件配転命令を発したのであれば、債務者会社としては、自己の責任において、他に適宜の措置を講じてコンピューターによる給与計算業務を支障なく継続すべきなのである。

もっとも、本件配転命令当時予見しえなかった事情が判明したため、どうしても債権者自身によるコンピューター業務の遂行が必要となった等何らかの特段の事情があれば、雇用契約上の信義則に照らし、会社に積極的に損害を蒙らせないよう債権者において右業務を行う義務があるということもできる。しかしながら、債務者会社がコンピューターを導入した平成元年八月から平成三年四月までの長期間にわたり、コンピューターによる給与計算業務全般に習熟していたのは債権者一人であったことは前認定のとおりである。債務者会社は、このような事態を「債権者がコンピューターに関する知識・情報を独占し、これを他人に秘匿していたという会社に対する背信的行為の結果である」と主張するが、もし、そうであれば、もっと早い時期にコンピューター業務を外部に委託して債権者を右業務から外す等の手段をとっていたはずである。にもかかわらず、債務者会社がそのような措置をとらないまま本件配置命令に至ったのであるから、債務者会社はコンピューター業務の統括を債権者に任せていたというほかなく、債務者会社の右主張は全く当を得ないものである。

したがって、債務者会社としては、本件配転命令により債権者を守衛長に配転すれば、債権者の旧職場にはコンピューターによる給与計算業務に習熟した人間が誰もいなくなってしまい、これを外部に委託せざるをえないことを十分に認識しながら、本件配転命令を発したものというべきである。すなわち、債務者会社は、自己の責任においてコンピューターによる給与計算業務を行うべきであって、守衛長たる債権者には、旧職場の業務たるコンピューターによる給与計算業務をする雇用契約上の義務が生じていたと理解すべき特段の事情を認めることはできない。

もっとも、コンピューターによる給与計算業務の手伝いを要請されながらこれに応じなかった債権者の態度は、それまで営業部長という要職にあった者の態度としては、頑なに過ぎるといえなくもない。しかしながら、本件配転命令が、適法に有給休暇の取得を要求する債権者とこれを拒む債務者会社の確執が生じた正にその時期に行われたことに照らせば、債権者において、本件配転命令が債務者会社の業務上の必要性に基づいて行われたものではなく、「いやがらせ」の意図が含まれていると推測したとしても止むをえない事情があったといわなければならない。したがって、債権者の右態度が、被傭者として頑なに過ぎ、使用者たる債務者会社に対する雇用契約上の一般的な忠実義務に違反しているなどと責めることは適当ではない。

四以上のとおりであるから、コンピューターによる給与計算業務に関する義務違反を理由として、本件解雇を正当化することはできない。また、右の点以外に債権者の義務違反行為として債務者会社の主張するところは、いずれもかなり時間を経た事情であり、しかもさして重大な事情ではないから、このような事情をもって債権者を普通解雇に処することは、明らかに債権者にとって苛酷に過ぎるといわなければならない。

したがって、本件解雇は、社会通念上相当として是認できるような正当の理由に基づくものとは認められず無効である。

五本件疎明資料及び審尋の結果によれば、債権者は専業主婦の妻と小学生の子供の三人家族の生計を維持していたもので、多額の住宅ローンの支払いを続けていたことが一応認められるから、本件仮処分を発令することにより本案訴訟の提起及び追行の負担を軽減し、もって民事訴訟の実効性を確保することが相当であると思料される。

なお、債務者会社は、雇用契約上の地位を定める仮処分は任意の履行に期待する仮処分として違法であると主張する。しかし、雇用契約の存否は、賃金受給関係の消長のみならず、被傭者の様々の社会的地位の消長に影響を及ぼすものであるから、雇用契約上の地位を定めることは、民事保全法二四条の「申立ての目的を達するため必要な処分」として是認すべき適法なものであって、現実の就労を強制履行できないからといってこのような仮処分を違法とすることはできない。

六以上の次第で、本件申立ては、被保全権利と保全の必要性が認められるからこれを認容することとし、申立費用の負担につき民事保全法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官橋詰均)

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